いつまでも、 これからも ~訃報のご報告~

 

私の父が7月22日に亡くなりました。82歳でした。
本日初七日法要が終わりましたので、ここにご報告させていただきます。

訃報に際し、多くの皆様からご鄭重なるご厚志をいただきました。
食欲も行動も元気いっぱいで、名刺交換をさせていただいた人にお礼状を書くのが早く、何十年と経っても、「お父様からお葉書をいただきました」と父のことを記憶に残してくださっている皆様が大勢いらっしゃいました。

私の父は常に世の為、人の為と情熱の塊みたいな人でした。

私が小学生3年の時に熊本市議会議員に初当選してから、父の政治人生は始まりました。
選挙の時はいつもたくさんの皆様が家に来てくださり、そのことが子供の私にはとても嬉しく、特に選挙と励ます会の人の結集の力を感じる温かい賑わいが好きでした。
トップ当選をさせていただいた熊本県議会議員選挙の出陣式では、本妙寺から電車通りまで長く伸びるほどの皆様にお集まりいただきました。恐らくその人数は今も破られていないと思います。
熊本県議会議員の時は、平成元年にクルマエビを県魚に提案し、天草大王の復元にも尽力しました。
また、参議院議員の時は、沖縄・北方領土問題に関する特別委員会委員長を務めさせていただき、テレビの天気予報に北方四島が表示されるように尽力しました。「日常で国民が北方四島を目にし、領土への意識を持つことが大切」と常々口にしていました。本がとても好きだったので、参議院議員時代、図書小委員長として、東京上野の国際こども図書館、国立国会図書館関西館の開館に立ち会えたことをとても喜んでおりました。

2010年(平成22年)旭日中綬章を頂きましたが、熊本市長選挙の落選、そして私自身が政治を志したこともあり、自分自身の祝賀会、引退宣言を行う暇もなく私の選挙の応援にフル回転で走り回ってくれた父でした。
「本当は大好きなバリ島に旅行に行きたいけれど、今は娘の選挙があるから旅行はあと回しですたい」と来客の方に話している父の会話を聞きながら申し訳ないと思ったものです。
支援者の訪問の仕方もよくわからない私に、いつも「行って来なさい」と運転してくれました。
ハンドルを持つ父から、皆様から力を貸していただくためにどうあるべきかを一から教えてもらいました。
夏の炎天下のなか、政党掲示板やポスターの張り替えに自ら行ってくれた父でした。
「顕子は全国を回らないといけないから、熊本のことはお父さんがいるから大丈夫」
そうしていつも送り出してくれました。そうした父の声が今も聞こえてきそうです。

今は感染状況も大変な時ですので、時期をみて感染が落ち着いた時に「偲ぶ会」として皆様にご挨拶をさせていただく会を設けさせていただきたいと考えております。

これまでたくさんの皆様にご縁をいただきました。心から御礼申し上げます。
父が大切にしてきた政治への情熱、政策を継いでいけるように心を込めて問いかけ、勉強し議員としてしっかり歩いてまいります。
いつまでも、これからも変わらぬご指導をよろしくお願い申し上げます。

 

玉名郡南関町 本田良一 長女 本田顕子

 

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